この前、駅方面にランニングにいったら、急に60代くらいの老婦人の2人組に声をかけられました。
どうやら旅行者のようで、
「このあたりで喫茶のできるところご存じない?」
と聞かれました。
この年代のひとはカフェや喫茶店を「喫茶のできるところ」なんて表現をするのか、と感心しつつ
あいにく外食の趣味がなく、スマホも持ち合わせていないので
おおげさに頭をかきながら力になれない旨を伝えてそのまま別れました。
ちなみに土地柄のせいか自分の雰囲気のせいか、よく道案内を頼まれるのですが
ほとんど満足に答えられることがなく、毎回こんな感じです。
しかし、別れて20秒ほどたつとだんだん疑問が湧いてきました。
「どうして大きく歳の離れた男性にカフェの場所なんて聞いたのか?」
と。
ふつうに考えて、趣味が合わない可能性が高いです。
走ってる男(相手からすればまだまだ子供)をわざわざ捕まえるより、
その辺でのほほんとしている同世代の女性に聞く方がかんたんだし、
精度の高い答えがもらえそうです。
そもそも、めちゃくちゃおばあさんという年齢でもない人が
人に道を聞くということ自体が若干不自然です。
60代は普通にスマホを使いこなします。
まあどの路線に乗れば行きたいとこに行けるのか分からないとか、
公共交通機関系の問題はけっこう複雑だったりするので
自分で調べても分からなかったりします。
でもカフェくらいならGoogleMapに「カフェ」といれたら完了です。
しかもカフェだなんて好みがでるところを行き当たりばったりで、
現地人の一存にゆだねるというのもなおさら不自然です。
駅からおりてすぐなので、普通旅行前にすでに決めてあるものではないでしょうか。
それでは一体、なぜカフェの場所を聞いてきたのか。
しばらく考えてみたのですが、私はこの質問の意図は
「スマホの充電が切れそうなので、充電したい」
ではないかと思い当たりました。
この仮説は、不自然だった点をだいたい解消できているように思えます。
・好みの出るスポットを赤の他人に聞くのはおかしい
→充電さえできればどこでもいい
・なぜスマホで調べないのか
→調べて出てきた場所に行って充電ができるかわからない、もしくはすでに充電が切れてる
・なぜ同世代の同性に聞かないのか
→おばあちゃんはカフェで充電とかしない
そう考えるとこの質問に対するよりよい回答は、
「スマホの充電について逆に尋ね、もしそれで困っていたのであれば
コンビニでモバイルバッテリーというものが買えることを教えてあげる」
であるような気がします。
スマホが使えてもモバイルバッテリーを知らない高齢者は多そうです。
というかもし持ってたら充電には困ってないと答えるでしょう。
(喫茶店についてはほんとに知らない)
こんな感じで、最近、少しでも引っかかったら相手の言葉の行間を読むよう心がけています。
昔から他人の顔色とか、空気感を感じ取るセンサーの感度は多分人より
高かったものだと自負していますが、そのさらに一段上です。
言外の意図
相手がほんとうに望んでいるもの、伝えたいことは
言語化された情報の外にあったりします。
ハーバード大学のジェラルド・ザルトマン教授は
「人間は自己の意識の中で、自分で認識できることは5%にすぎず、残りの95%は自分では認識できていない」
と言っています。
認識できている5%は言語化可能ですが、
逆に残りの95%は言語化できないのが人間の脳の構造です。
この辺は俺ガイルのレビュー記事でも触れていましたね。
よければ読んでみてください。
https://shiorinoatelier.com/oregairu/
この95%を拾い上げ、言語化してあげると相手は
「そうそう、それ!」と一気に心の距離を近づけることができるでしょう。
非常に鍛える価値がある能力だと考えています。
今回の老婦人が「充電がしたい」というニーズを言語化できていなかったというと
さすがにそんなことはなく、単純に「スマホの充電がないのだけど、どこで充電できる?」
と通行人に聞くのが気恥ずかしかったんだと思います。
不用意な人間だと思われるのは、たとえその場限りの関係だったとしても避けたいものです。
顕在意識にはあるけど、わざと隠したって感じですかね。
ここまで言っておいてスマホの充電ぜんぜん関係なかったらちょっと笑っちゃいますけどね。
こうみると、言語化された情報に相手の真のメッセージが入っていないケースには
2つあることが分かります。
・非意識にあるので、言語化できていない
・意識下にあるが、隠したいので言語化されない
こうなってくると、もはや道案内どころのはなしではなくなってきます。
人生のあらゆるできごとの中に相似形として潜んでくるでしょう。
私は絵を描く人間なので、たとえばイラストのコミッションでしょうか。
1ターン制コミッションと、ことばにならない欲求
Skebとか、pixivのリクエスト機能では、
「こんなイラストを描いてほしい!」という人が、
好みのイラストレーターに依頼を出すことができます。
2023年の初めごろ、私はよくこの手の依頼を募って
描いていたのですがここ一年以上は利用していません。
なぜかをひとことで表すと、
これらのサービスは「ガチャの負としての側面」がつよいためです。
Skeb・pixivリクエストはやりとりを1ターンで終える必要があります。
相手と
「この文章はこれを表現してほしいということで合ってますか?」
とか
「ラフを描いてみたので、今の時点で修正をください」
とかのやりとりをすることができません。
となると、「依頼主がほんとうに見たかったもの」をつかみ損ねる可能性が高くなります。
理由は2つあります。
(ここまでしっかり読んでくれている方は、これらがなにか分かるはずです!)
ひとつは「相手の非意識にあるニーズを言語化して、相手に確認する」という工程が
おこなえず、ぶっつけ本番でイラスト制作に臨まなければならないからです。
「そうそう、それ!」が引き出せることもあれば、
「あ、いや、そうじゃないです」なこともあるでしょう。
ひとこと相手に聞けばいいものを、規約上それができないので
依頼文を丁重に読み込んで一発で当てにいく必要があります。
でもそこまで高確率で当てられるか?というと疑問です。
外した時のリスクを考えるとどうしても1ターン制コミッションは単価が上げづらいです。
Skebがはっきり「お仕事のための場ではない」と明言しているのは
ここを見越してのことだと思います。
理由のふたつめは「依頼主が恥じらいや遠慮を捨てきれてない」ケースがあるためです。
ふだん自分の性癖をSNSなどで発信する習慣がないひとは、
「ほんとうはこういうシチュが好きだけど、文字に起こすのすら恥ずかしい」
「ましてやこれを絵描きの人に送りつけて読んでもらうなんてとんでもない」
「ふつうに引かれるのも嫌だし、性癖もりもりの奇々怪々な依頼文を見て
どうしたものかと悩ませるようなことも嫌」
みたいなことを考えたりするのではないでしょうか。
(ちなみに私はコミッションを送ったことがないのでここの解像度にはあまり自信がないです。
なのでもし実体験をお持ちの方がいれば「あるあるだよねー」と言ってくれたらうれしいです)
さきほどの道案内の例では後者でしたね。
駅から出てすぐ「スマホの充電がないのだけど、どこで充電できる?」
って聞くのはちょっと間抜けではずかしいですから。
いよいよややこしくなってきたので、
ここまでで出てきた2つの具体例、道案内とコミッションをつなげてまとめに入りましょう。
具体と抽象のハシゴ
具体は抽象を介してつながります。
それは今回のように一見別々のものであっても大丈夫です。
たとえば犬と猫はまったく別ですが、それぞれの概念からハシゴをのぼって抽象度をあげていくと
同じ「ほ乳類」という概念にたどり着く…という感じです。
なんとなく理解してもらえたでしょうか。
なんだ当たり前のことじゃん!と思ってくれた方も多いのでは。
以上の前提を踏まえると…
「1ターン制のイラストコミッション」と
「このあたりで喫茶のできるところご存じない?」のふたつは
「ことばの裏を読ませるコミュニケーション」というひとつの抽象概念でつながる
といえます。
…だからなに?とでも言いたげでしょうか。
私は
日ごろから相手の言外の意図をくみ取る練習をすることで、絵描きとしての信頼を貯める技量があがる
のでは!?と解釈しています。
ちょうどこの画像のような流れでね。
図に示した赤いやじるしはいわば「知識」や「経験値」の移動です。
・日常のなかで気づきを得る。それは相手の言葉のウラを読むことで得られるものだった…①
・同じような思考回路を用いれば、
絵の世界においても同じく「気づき(=相手が本当に見たいもの)」が得られるだろう…②
というロジックです。
まだよく分からないと思うので、さきほどの犬猫の例でいうと
・犬は犬歯という鋭い歯を有しており、それがほ乳類に共通の特徴であることが分かった…①
・このことから、おなじほ乳類に属する猫も犬歯を持つことが予想できる…②
みたいな感じです。
ちょっと話がそれました。
日常からことばのウラを読む訓練をすることで、刺さるイラストが描けるようになるのでは!?という話でした。
より少ないやりとりで相手の真の欲求をくみ上げて、「そうそう!」と言ってもらえるようになる。
これが1回になればSkebなどの「ガチャの負の側面」は薄くなり、自信をもって依頼を募れるでしょう。
そして究極的には0回ですね。依頼文もなにもないところから
「だれも意識できていないけど、言われてみれば皆がめちゃくちゃ見たかったもの」を創造する。
そんな非意識の宇宙にアクセスし、無から有を生む魔術師のような境地も、極めていけばきっとたどりつける。
絵を描く、資料を集める、エンタメを楽しむだけが絵の練習というのはとんだ勘違いかもしれませんね。
おそらく、日常のすべてがつながっているのです。
…ちなみになんでこんなに物々しい画像が今回多いのかというと
adobeの画像素材サービスにいつのまにか8万円はらっていたのが悔しかったからです。
これでもかと使ってやりました。
でも綺麗な画像は眺めているだけで楽しいので、案外悪くない買い物だったかも?といまは思っています。
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